堅田(キャンパスが美術館)

浮御堂

平安時代に比叡山の恵心僧都源信が、湖上の安全と衆生済度を祈願、そして浮御堂を建設し、自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで安置した。近江八景「堅田の落雁」で名高い。寺名は「海門満月寺」。

小さな駐車場も完備されている。

 

▽近江八景とは

美和子の湖南地方を中心とした名称で、近衛関白政家が近江に乱を避けていた際に、中国の瀟湘(しょうしょう)八景になぞらえて詠んだことが始まり。

歌川広重の名所絵図「近江八景」により世に広く知られている。

 



光徳寺

浄土真宗大谷派の寺。

元は天台宗であったが、延元元年に浄土真宗に改宗。

本道には源兵衛の首が祀られており、本堂正面左側には「源兵衛父子順境像」がある。この銅像は護法に命をかけた先祖たちの像である。蓮如が保管して預けていた御御陰を三井寺に引き取りに出かけたが、人間の生首を持ってこいと要求されて困り果てていたところ、堅田の漁師・源兵衛は父親に自らの首を持たせ、差し出した。三井寺は本物の生首を見て慌てて御御影を返したという伝承は伝わる。

 




伊豆神社

室町時代から続く「宮座」があった。殿原衆(とのはらしゅう)と全人集(まどろしゅう)の合議制のもとに運営されていた。殿原衆は地侍で、「臨済宗」を信仰し祥端寺を、全人集は商工業者たちで「浄土真宗」を信仰し本福寺を創建した。のちに天台宗の比叡山延暦寺と対立し、堅田は焼討(堅田大責 かたたおおぜめ)にあう。伊豆神社の宮座の殿原衆・全人集は結束して立ち直り、その後も琵琶湖の水運や、漁業を取り仕切る時事が行われた。

神社の奥に伊豆の零石があり「幸福を呼ぶ石」がある。

 





祥端寺

臨済宗大徳寺派。室間t路だい応永年間ー京都大徳寺の僧、華叟(かそう)禅師が創建した。本尊は釈迦如来。一休和尚修養地と刻まれている大きな石碑が目印。一休が13年間、本寺で修行を積み、悟りを開いて「一休」の道号を授かったことで知られる。



本福寺

蓮如上人が応仁の乱を避け、浄土真宗布教の拠点とした場所である。松尾芭蕉の最古参門人である千那が本福寺の住職であったため、本寺に多くの句を残している。


境内は自由に見学可能。


総合領域一年 北島曜 久次凪沙